今年で芸能生活43年となる女優・タレントの森尾由美。成人した2人の娘の母親でもあり、2022年6月には初孫が誕生し、“かわいすぎるおばあちゃん”と話題に。5月18日に都内で行われたファミリーセミナー「高齢者から孫世代で考えよう『RSウイルス感染症』」に出席した森尾にインタビューし、これまでのキャリアを振り返るとともに、今の仕事に対する思いを語ってもらった。
1982年に女優としてデビューし、翌年歌手デビュー。40年以上のキャリアを誇る森尾に今の仕事に対する思いを聞くと、「あまり無理せずに、楽しませてやらせていただきたいという気持ちが強いですが、同期の仲間たちがまだまだエンジン全開な人が多く、そんな仲間たちを見ていると、生ぬるいことを言っていられないなと刺激をもらいます」と語る。
特に松本明子からは「70歳までは若手と一緒にロケ行く」「80歳まではお仕事をやりましょう」と合言葉のように言われているという。
「明子とはレコードのデビューが同じ年で、同期なんですけど、彼女自身、全力投球の真っ最中なので、たくさん刺激をもらっています。この仕事は、何年やっていても新しい発見があったり、新しい挑戦ができたりするので、私もまだまだ楽しみながら80歳まで頑張って続けていけたらと思っています」
これまでのキャリアでは、1992年に結婚したことが大きな転機になったと語る。
「私は仕事とプライベートのつながりが大きく、結婚のタイミングでお仕事の流れが大きく変わり、主婦向けの番組が増えたり、母親役が増えたりしました」
1993年に長女、1999年に次女を出産。仕事と子育ての両立で葛藤もあったと明かす。
「子供と一緒にいたいと思う時に限ってお仕事をたくさんいただくことがあり、そういう時は葛藤もありました。でも、プライベートが忙しい方がやる気も出るタイプなので。子育てが一番忙しい時は仕事も一番忙しかったです。30歳前後という年齢的にも危機感があって、お仕事を断ると二度目がないという危機感が勝ってしまっていました」
そして、仕事も諦めなかったからこそ今があると感じているという。
「その時に頑張ってよかったなと思うことはたくさんあります。長く続いている『はやく起きた朝は…』(放送開始当時は『おそく起きた朝は…』)もその頃に始まっているものなので。身体的にも無理がきいて、周りのサポートもあってできたなと思います」
撮影の合間にスーパーに食材を買いに行くことも
また、仕事と子育ての両立について、母親の協力も得て連携を大事にしながら取り組んできたと説明する。
「母からは『娘たちをよく観察して、いつもと違うところを気にしなさい』と言われていて、小さい子供は熱があっても自分ではわからないので、いつもと体温が違うとか、元気な時と元気じゃない時の差を敏感に感じるように言われていました。ただ、仕事の時はそれができないので、母としっかりコミュニケーションを取りながら子供たちを見るようにしてきました」
多忙な日々の中でも、母親との約束で娘の弁当作りは必ず森尾が行っていたという。
「母親から何か一つはちゃんと母親らしいことをするように言われ、仕事があってもお弁当だけは必ず自分で。昔の台本を見ると、台本の隅っこに買い物リストが書いてあったり、撮影の合間に近くのスーパーに走って行って食材を買って、美術さんの冷蔵庫に入れさせてもらって帰りに持って帰ったり。お弁当ノートも作って、何を作るかメモしたり、朝なるべく短時間でできるようにしていました」
『ラブの贈りもの』シリーズ(1996・1997)、『大好き! 五つ子』シリーズ(1999~2009)とTBSの昼ドラ「愛の劇場」でも存在感を放っていた森尾。子育て真っ最中ながら連ドラ主演を長年にわたって務めた。
「長女が幼稚園に通っていた3年間が昼ドラと重なっていたので、その3年間が一番大変でした。撮影で朝が早い日も弁当を作るように。当時は大変でしたが、今思えばやりがいのある母親の仕事の一つだったなと思います」