いま日本に求められるもの 【私の雑記帳】

日本はつなぐ使命を!

〝つなぐ〟という使命と役割─。世界の『分断と対立』化が進む今、日本に求められる使命と役割である。

 米トランプ政権の高関税策は『分断と対立』をますます加速させる。 『分断と対立』が深まる中、誰かがそれを断ち切り、世界をつなぐ役割を果たさないといけない。

 2025年は戦後80年という節目の年。『昭和』が始まってからちょうど100年になる。戦前の20年、戦後の80年で見れば、戦前は『明治』と『大正』を経て、〝世界の強国〟入りした日本が新しい秩序を求めて模索した時期。

 満州事変(1931年=昭和6年)、日中戦争(1937年=昭和12年)が起こり、国内では『五・一五事件』、『二・二六事件』と、国の統治や治安を揺るがす事件が相次ぎ、時の首相や主要閣僚の暗殺を謀る不穏な動きが発生。

 そして最終的に、日本は第2次世界大戦に突き進み、敗戦国となった。米国を中心としたGHQ(連合軍総司令部)の約7年にわたる占領を経て、日本が主権を回復したのは1952年(昭和27年)のことであった。

 独立を成し遂げた後も、米国から政治・経済・安全保障面で圧力を受けることもあり、両国間では激しいやり取りが続いた。

 現在、日米は同盟関係にあるが、その同盟のあり方はどうあるべきかが厳しく問われている。

 日米同盟を基本にしつつ、世界秩序をどう描いていくかという展望と戦略に基づいて、米国にも言うべきは言い、説得することも今の日本に求められるところだ。

 どの国も、また、企業や個人も単独では生きてはいけない。それぞれの主権は認めつつも、共生の思想で、〝解〟を求め続けるという姿勢が不可欠。日本に世界をつなぐ思想と戦略が求められる。

日本の『和』の精神に・・・

「インバウンドの増加のおかげで状況がすっかり変わり、良くなりました」─。インバウンド(訪日観光客)は約3800万人(2024)にのぼり、今年は4000万人近くになりそうだ。観光産業関係者の表情は明るい。

 インバウンド増加は、ホテルや飲食店、航空・鉄道などだけでなく、日本全体にも経済的恩恵をもたらす。

 世界の『分断・対立』が進む中で、なぜ日本にこうも多くの海外の人々が関心を示すのか─。

 1つは、文字通り、日本の『和』の思想に世界の人々が共鳴・共感しているからであろう。

 日本の食や文化、人々のもてなしの心に、海外の人たちは居心地の良さを感じているのだと思う。

 東京や大阪、京都といった大都市だけでなく、インバウンドの目は地方にも向きつつある。スマホ1つで、地方にも簡単にアクセスでき、日本の四季や風景、各地の名産を味わうことができる時代だ。インバウンドが地方にも足を伸ばし、さらに日本の『和』の精神に触れることが期待される。

弊害に毅然とした対応を

 一方で、インバウンド急増の弊害もある。ゴミを平気で道路に捨てたり、電車内で突如、ダンスをし始めたり、大声で会話するなど、こちらもマユをひそめてしまう行動も目立つ。

 文化や習慣の違いと言ってしまえば、それまでだが、その違いを認識しつつ、いかにお互い嫌な思いをせずに共存できる空間をつくるかも課題。骨の折れる仕事だが、日本は受け身の姿勢から、もっと自信を持って相手に話しかけていく努力が求められる。

 言うべきは言い、筋道を通す。それが共存・共栄につながるということだ。基本軸を失えば、その国の存在意義はなくなるし、大仰に言えば、そうした国は衰亡していくだけだ。

普遍的な真理・真実を!

 本誌『財界』は本号で、『トランプ・ショックにどう立ち向かうか』という視点で特集を組んだ。

 米トランプ政権の高関税策についても、寺島実郎さん(日本総合研究所会長、多摩大学学長)が言うように、単に高関税から逃れる方法を探るという次元にとどまるのではなく、過去の歴史を踏まえて新たな対応が必要とされる。

 また、森本敏さん(元防衛相、拓殖大学顧問)には、日米安全保障の根幹を指摘していただいた。

 自らの国は自ら守る─。トランプ政権の政策や主張には理不尽な点も多いが、米軍は他国の防衛にまで手が回らないという主張の背景には、「各国はもっと自らを守る手立てを取れ」という米国民の深層心理があるということ。日本も自らを見つめ直す時だ。

 誰かと激しい対話・議論を重ねてみると、中にはハッと思い当たる真理・真実も含まれていることに気付く。普遍的な真理・真実と〝虚〟を見極めていかねばならない。

お好み焼きを世界に

 日本人にはお馴染みの〝お好み焼き〟は、インバウンドはもちろん、今や世界中の人々に親しまれる食となっている。

 肉や海産物、野菜、小麦粉で簡単につくることができるお好み焼きには、専用のソースが必要。そのソースづくりの元祖とされるのがオタフクホールディングス(本社・広島市)。

 創業は1922年(大正11年)で、100年余の歴史を持つ。地元・広島で愛されていたお好み焼きが、次第に全国に広がり、今やその人気は海外にも広く浸透。

 お好み焼きソースを主体とする同社の売上高約262億円のうち、海外の比率は約18%になる。

 海外では、米国、中国、マレーシアの3カ国に生産拠点を構え、「海外での成長も目指す」と会長・佐々木茂喜さんは力強く語る。

 味に対する好みは、その国の食文化や風土によって違ってくる。同社の強みは、多様性(ダイバーシティ)に対応していること。

 海外でなぜ今、広島のお好み焼きの人気が出ているのか? 「大阪のお好み焼きは混ぜるじゃないですか。広島のお好み焼きは重ね焼きなんです。何がいいかと言うと、ハラールの人とかベジタリアンの人にも対応しているということです。重ね焼きだから、肉が駄目なら肉を抜くことができるんです」と佐々木さん。

 佐々木さんによると、「足し算、引き算が容易なんです」という。

食は人と人をつなぐ

 食は、国を越え、人と人をつなぐというが、お好み焼きはまさにそうだ。創業者は祖父母の佐々木清一・ハヤ夫妻。人を大事にするという同社の社風も、創業者の面倒見の良さから来ている。

 祖母のハヤさんは、地域社会に溶け込む人で、「上がっていきんさい、飲みんさい、食べんさい」と面倒見のいい人だったという。

「祖母の両親は、開拓民として米国に渡り、オレゴンの原生林を開拓した。祖母も一時期、米国で暮らして、日本に帰って来たんです」

 佐々木さんにも開拓者魂が受け継がれているということ。同社の歴史を振り返ると、食は人と人をつなぐということがよく分かる。